近藤:正直なことを言えば、(函館三部作の)2本を撮って、次の3本目、誰が監督するのかわからないけど、そろそろ(撮影監督は)オレじゃないといいなあ、という気はしてたんです(笑)。前の2作品は自分なりにかなり考えて撮ってきたものだっただけに、今回どうしようかということをゼロから考えるというより、やっぱり前とは若干違うことを発想していきました。やはり、ひとつずつ自分の印象を更新していかないといけない。原作が同じ人でテイストが似ていたりすると、前の作品を引き摺りがちになってしまうので。ただ、今回はカラリとしたハッピーエンドで終わりたいと、星野さんからうかがっていたし、新たな気持ちで臨んだつもりです。監督が変われば視点も変わる。監督が考えてることも変わる。それを頼りに毎回やってきただけですけどね。
星野:『海炭市叙景』のとき、熊切(和嘉)さんが言っていたのは、「函館山から見下ろした、冬の函館の瓦礫のような町を撮りたい」ということでした。近藤さんはスーパー16のフィルムで撮った。ちょうど、フィルムとデジタルの過渡期のタイミングでした。『そこのみにて光輝く』のときは、撮影的には近藤さんと照明の藤井(勇)さんの作戦がすべてだったと思います。最後のシーン(ラスト)、近藤さんは集中力がハンパなくて。ものすごく気迫が伝わってきて、近づけないくらいの緊張感に感動しました。『オーバー・フェンス』は、監督が決まる前に脚本の高田さんと一緒にシナハン(シナリオハンティング)に行って。『海炭市』で使ってないところを探して、シナリオに書いておこうと思ったんです。函館山の公園は使ってないし、奇妙な雰囲気がある。昭和のたたずまいもある。ここを舞台に出来たら面白いかもなと。ヒロインの聡が働いてる設定にしようと。あとは最後の幸せな風景さえ撮ってもらえればおまかせでした。
近藤:あの公園は、これまでまったくノーマークだったんです(笑)。というか、2本にそういう状況とかシチュエーションはなかった。今回ああいうところを使って撮影できたのは面白かったですね。10年前の函館の印象は、駅前も閑散としていて、さびれた町だったんですが、ここ何年かで、若干綺麗になり、繁華街にも若干人が戻っている印象があった。「何かを取り戻そうとしている」町に見えたので、そんな匂いが少しでも残せたらな、という想いもありました。ボロボロの観覧車がある、人も来ないような公園なんですけど、もしかしたら、あそこにまた子供たちが来るのかな……と。そういう函館をまた見てみたいなと思わせてくれる、いい雰囲気のある場所でしたね。いい舞台でした。『オーバー・フェンス』は、「ここで生きていこうとする」人たちの話だから。町には明るい部分も見えてくれたらいいなと。あと、町の印象を薄くしたいと思ったんです。特殊な場所にしたくないなと。そこは函館かもしれないし、他の町かもしれないし、というような。実景も、あまり劇的に函館山を入れたりはしてません。
星野:近藤さんのことを、あらためて凄いと思ったのは、グラウンドのシーンがあるじゃないですか。近藤さんが選んだあのロケーション、当初、実は僕は反対だったんです。他にふたつ、もっといい野球場があるのに、と。ただ、近藤さんはガンとして「ここだ」と。そこには近藤さんならではの狙いがあったんだろうなと。出来上がりを観たら、ああ、ここで良かったんだなと。いつも(映画の中の)町の構造を構築するのは近藤さんなんです。そこは脚本作りの段階ではわからないところなんですよね。たとえば、コンビニなんかも、近藤さんが選んだところを「ここなの?」と思うわけですよ。僕が当初抱いていたイメージとは全然違うんです。
近藤:ってことは、星野さんと僕は合ってないってことじゃないですか(笑)
星野:いやいや、でも結局「なるほどな」となるんですよね。白岩のアパートも、最初見たときは「ここでいいのかな?」と思うんだけど、やっぱりいいんですよね。オダギリ(ジョー)さんが現場入りして、アパート前でノミを研いでるカットで、凄いなと。『オーバー・フェンス』は、僕にとって、あのカットの印象が強いです。これは、凄い映画になる、と思いました。
近藤:撮影二日目とかですかね。
星野:プロデューサーのイメージを裏切り続ける……おそろしい男ですよ。
近藤:大問題じゃないですか(笑)
星野:でも、そこが近藤さんの凄いところだと思いますよ。我々程度のイメージを凌駕してくる。僕は「日本の(エマニュエル・)ルベツキ(アカデミー賞最優秀撮影賞を三年連続受賞した撮影監督)」だと思っているので。
近藤:とんでもない。
星野:近藤さんはいずれ『レヴェナント 蘇えりし者』みたいなものを撮るだろうと。
近藤:じゃ、また北海道で(笑)
星野:今度はもっと奥のほうでやりましょう(笑)