山下:星野さんにはプレッシャーだけは与えられましたね(笑)。「最終章を傑作にしましょう」と。「山下=近藤バッテリーだから、凄いのができるだろう」と。この2つはことあるごとに言われましたね。
星野:だって、黄金のバッテリーじゃないですか。一映画ファンとして観たいと思ったんです。『海炭市叙景』からの企画者である函館シネマアイリス・菅原さんから『オーバー・フェンス』の映画化をご提案され、描かれているのはソフトボールですが、これはある種の野球映画にもなるんじゃないかと思いました。あと、佐藤泰志函館三部作として考えたとき、『海炭市叙景』と『そこのみにて光輝く』はかなり鬱屈した苦しい話なので、最後は前向きな話をやりたいなと。佐藤さんの小説の中で『オーバー・フェンス』は例外的に前向きな話でした。原作自体も唯一、佐藤さんが憧れた世界というか。作家を諦めて一回函館に帰ったときに、たぶん手に職も何もないから職業訓練校に通ってみたんでしょうね。そこにいろんな人がいたんだと思うんです。その後、佐藤さんは芥川賞にノミネートされて東京に戻ったりはするんですけど、その職業訓練校時代に自分が想像した憧れの世界を小説にしたんじゃないかと。何かそこに希望を感じるんですよね。
高田:ただ、『オーバー・フェンス』は小説として読むとすごくいい気持ちになるんですけど、だけど(映画にするとなると)これ、話ってなんだっけ? と。何を乗り越えたわけでもないのに、なぜか最後、「もう缶ビールを2本飲むのはやめよう」となる。すごく気持ちが変わってるけれど、いつ? って。最初に、20代の主人公を30代後半から40代ぐらいに設定して、僕と星野さんと同世代の話にしたらどうだろう? と菅原さんからの提案があって、そこから考えていったんですが、最初はそうするべきか全然わかんなかったんです。もうひとつは(佐藤泰志の別の短編小説)「黄金の服」の女性をヒロインにして、話を盛り上げようと。その女がまたわからなくて。あとプロデューサーから今回はダンスを入れられないかと。
山下・星野:(笑)
高田:確かに原作とは別な要素は必要ですけど、最初はすごく抵抗してたんです。ダンスを習ってる女……とかはイヤだなと(笑)。シナハンであの公園に行ったとき、ミニ動物園があって。そこに結構、鳥がいた。星野さんは相変わらず「ダンス」にこだわっていたので、追いつめられて、僕は「じゃ、鳥が好きであそこで働いてて、ふざけて求愛ダンスをしている、というのはどうですか?」と。
星野:それが名アイデアだなと思って。
高田:それが出てくるまでは結構キツかったですよね。でも、やってみたら、よかった。監督と星野さんが別々に同じことおっしゃってたんですけど、この話は何かが解決してハッピーエンド、という話じゃなくて、何となく天気がいいね、でも気持ちがいいね、それを感じられることって幸せなことだね、と。僕もまったくその通りだなと思って。でも、それって、話にならないなと思って。
山下・星野:(笑)
高田:泥沼にはまった気分でした。
星野:山下さんにオファーする上でも、かたちになった脚本が必要だったんですよね。そのためにも、高田さんが持っているポテンシャルをすべて出してほしいと思いました。
山下:まあ、僕は『苦役列車』もやってますからね(笑)。あれも、映画にはしにくい小説でしたから。でも今回は、やはりオダギリ(ジョー)さんのケータイドラマ『午前三時の無法地帯』でもご一緒した高田さんもいるし、『海炭市』『そこのみ』のチームとやりたいなと。キャスティングが決まっていく中で見えてきたものはありましたね。最初にいただいた脚本に、すべての要素は入っていたと思います。あとはそれをどう圧縮していくか、ということでした。オレが言ったことは「鈴木常吉さん、入れましょう」ぐらいですね(笑)。スタッフみんなでアイデアを出し合ったことが大きい。羽根が降ってくるところは、投票で決めたんですけど、アイデアを出したのはメイクさんでしたからね。
星野:あと、寝泊まりしている宿で、俳優さんたちの間に生まれた雰囲気。それを撮るのも山下さんは上手いんですよね。むしろそういう空気感を作ることも演出というか。僕もそれは初めての体験で面白かったし、俳優さんたちも面白かったんじゃないですかね。
山下:合宿というかたちはほんとうに良かったですね。
高田:僕が意識していたのは、出てくる人たちはみんな自分が「これからどうなるかわからない」ということ。人生はそういうものだし、それでいいんだと。それは監督も星野さんも同じ意見でした。そして、出来上がった映画は、自分が関わったものの中ではいちばん好きな作品になりました。